こんにちは、一般社団法人おせっかい協会の高橋恵です。今回は2021年5月に月刊『致知』で対談させていただきました、のらねこ学かん代表の塩見志満子(しおみ・しまこ)さんの対談内容の一部をご紹介させていただきますね。塩見志満子さんからの「どこまで人を許せるかで人生が変わる」という内容が今でも心に残っています。

目次
1.塩見志満子さんのお子さんの悲劇

塩見志満子さんは、4人のお子さんのうち、白血病で長男を亡くしました。そして末っ子の二男は元気に育ちましたが、三年生になった時、プールで背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、亡くなるという悲劇が続きました。
塩見さんが小学校に行ったときに、子供たちが集まってきて塩見さんに謝るんですけが、怒りが込み上げてきます。そこに高校の教師をしていたご主人がやってきて二人で話しをします。
2.子供が帰らないのなら犯人は分からんほうがええ。
「犯人の子と両親は、一生その罪を背負っていかんならん。うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、許してあげよう」
「犯人を見つけて、この子が帰るなら命を懸けて戦うけれども、帰らんなら犯人は分からんほうがええ。やめよう」と言って、塩見夫妻は決めました。
3.【誰かのために自分ができること】同級生たちがつくった思い出の本

塩見さんの二男は、幼い頃からお小遣いを貯めて教会に持っていって献金をするような優しい子でした。塩見さんが嬉しかったのは、先ほどの同級生の子たちが二男の死後、その思い出を本にしてくれたことですと語ってくれました。
さらに塩見さんからは、「あの時、私が40人を訴えていたら、子供たちからこんな思い出の本はつくってもらえなかった。だから、許すというのは身を切られるように辛いけど、どこまで人を許せるかを死ぬまでテーマにして生きていったら、人生はきっと楽しくなると思います。」
4.悲劇の中で「どこまで人を許せるかで人生が変わる」

そしてお子さんの事故から20年以上が経ち、塩見さんのご主人が定年退職した後に、今度は交通事故でご主人を失います。ご主人を撥ねた若いトラックの運転手がやってきて、
「僕は殺されても仕方がありません。奥さんのいいようにしてください」 と泣きながら土下座をして謝りました。塩見さんは、世界一憎らしいその運転手にいった言葉は、「あなたは若いから、主人の分まで幸せになってください、私が警察に嘆願書を出すからどうかそうしてください。私はあなたを許すことからしか次の一歩を踏み出せないんです」と。
5.人を許すことで「誰かのために自分ができること」を実践

塩見さんの2つのお話を聞いて私は涙が止まりませんでした。私たちの日常でも許しがたい出来事があるかと思いますが、人を許すことができるように心がけたいですね。そして塩見さんから学んだことは、人を許すことで「誰かのために自分ができること」を実践していることになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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