こんにちは、一般社団法人おせっかい協会です。今回は2024年おせっかいエピソード部門で「父に憧れ賞」を受賞した織江強志さんのエピソード、父親の生き方から学ぶ、見返りを求めない「おせっかい」な生き方についてのご紹介となります。

目次
1.貧しい家庭に育ったことを父親のせいに

親父は87歳、足腰の衰えがきて痛みもあるようだが、86歳まで道路整備の仕事をしていた。
今でも背筋を真っ直ぐにして歩くことができる。そんな親父を私は50歳くらいまで誇りに思う事はなかった。それは貧しい家庭に育ったことを父親のせいにしていたから、、、。
2.父親は倒産しそうな会社で給料無しで働く

私が生まれたときから高校を卒業するまで、とても貧乏な生活をしていました。理由は、私が生まれたとき、父親は倒産しそうな会社で給料無しで働いていたからです。私が4歳の時まで無給で潰れそうな会社を支えて仕事を続けていたようです。
今から60年前の田舎なので、物をツケで買う(売り掛け)ことができたので、なぜか生活ができていました。父親も周りの商店の方々も、みんな「おせっかい」な方々ばりだったのかもしれません。
3.貧乏でも進学できる方法をみつける

そのような中で、私が4歳の時に両親は私を幼稚園に行かせたくて、父親はちゃんと給料がもらえる会社に転職しました。それでも4年間の借金は私が高校生の時まであったかと思います。子供ながらにも貧乏が恥ずかしい、お金が無くて進学できない、、、と考えていました。
どうしても欲しい物は自分でアルバイトをして購入すことを覚え、高校や専門学校の進学も、中学時代から続けていた新聞配達から新聞奨学制度で行くことができました。
就職後は2度の転職がありましたが、自分の希望する仕事をして家庭を持ち、子供も生まれ、自分が貧乏だった経験から子供達には貧乏な思いをさせたくないという思いで働いてきました。
4.父親はおせっかいな生き方を貫いている

両親は私が社会人になったときに離婚しました。病弱な母を父が捨てたという感じで私の弟たちは父親と連絡をとることは無くなりました。私は父のことを誇りに思ったことはありませんでしたが、両親の離婚後も、父親にも、母親にもお盆とお正月ぐらいですが会うようにしていました。自分自身も子育てが終わって気づいたことは、父親は、おせっかいな生き方を貫いていることです。給料無しでも人を助けようという気持ち、転職後も誰か困っているとおせっかいを焼く、だから周りもみんなおせっかいな人たち。
5.父親の生き方から学ぶ、見返りを求めない「おせっかい」

私が生まれたときから4年間も無給で働いていた会社の社長さんが、私が小学生の高学年くらいの時に来たことを、ふっと思い出しました。元の会社の社長さんは泣きながら少しだけどと言ってお金を父親に渡していました。見返りの求めない父親のおせっかいな生き方は、間違いなく人の心には残っていると感じます。
そして知らず知らずのうちに私自身も見返りを求めない、おせっかいをするようになっています。
それは、きっと父親の「おせっかい」な生き方に憧れていたのだと感じます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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