【感動物語】戦後の混乱期に「家族の命を救った1枚の手紙」

 こんにちは、一般社団法人おせっかい協会の高橋 恵です。あなたは、 人生最後の時に、もう一度読みたい手紙がありますか?  私には、命を救ってくれた一枚の手紙があります。

その手紙がなかったら、私は死んでいたのです。 私だけではなく家族全員も死んでいたのです。  戦後の混乱期に、どん底を救ってくれたのは一枚の手紙だったのです。その手紙の言葉を心の支えに「命があれば何だってできると」生きてきました。


※今回ご紹介する物語は、実話をもとにした「百年人生笑って過ごす生き方の知恵」(致知出版社)の中で「愛あるおせっかい物語」(原作:高橋 恵、創文:内村 守男)からのご紹介となります。

1.戦後でも母の戦いは終わっていなかった。

 母の戦いは、戦争が終わってから始まった。 父の戦死に嘆く間もなく空襲で焼き 出され、 3人の娘を抱えて路頭に迷った。親戚の家を頼りながら 雨風をしのぎ、 必死に耐えて娘たちを育ててきた。

私たち三姉妹は、朝から晩まで一生懸命に働く母の姿を見ていた。 だから「ほしい」という言葉は使わないと心に決めていた。お母ちゃんは、色々な仕事をしていた。香水の香りをさせながら 出かけていく 化粧品のセールスレディ。 食堂のお手伝いの時は私たちも恩恵にあずかった。 この時は残り物をいっぱいもらってきて食卓が華やかになった。 

3日前、 夕方 遅くまで 友達と遊んでいた。「 また、怒られるかな」 と忍び足で家に帰ると玄関前に姉と妹が耳をふさいでうずくまっていた。 「え、どうしたの」 と聞くと、姉が「静かに」と私の口を塞いだ。家の中から見知らぬ強面の男の人の罵声が聞こえてきた。

「もう、期限が2週間も過ぎているんですけどね! それでも社長があんたのところの父ちゃんは、お国のために戦って死んだんだ と言って、 大目に見てきたんだ。 それだけありがたく思いなよ。 でも今日は、 利子分だけでももらって帰りますよ。いいですね」

「 もう少しお待ちください。 あと1週間で給金が入りますから。 もう少し待ってください」 と母が畳に額をこすりつけている姿が見えてきた。 

2.お父ちゃんの形見の真珠の指輪

 「おい、 何か金になりそうなものがあったか」と強面がもう一人の部下に命令した。「 何もないですね」と部下が部屋を見渡していった。 その時、 母の指を見逃さなかった。「 お、高そうな真珠の指輪を今 隠しましたね」 母が、その真珠の指輪を両手で握りしめた。

「 これは、唯一のお父ちゃんの形見 なんです。 これだけは駄目です。 持っていかないでください」それでも強面は、 母の手を振り払い、真珠の指輪を 母の手からもぎ取った。 その姿を見て、 私は姉の静止を振り切って強面の男の前に飛び出した。 

「お母ちゃんをいじめないで! いじめないで!お母ちゃんの指輪 返して!」 と叫んだ。「 お嬢ちゃん、 怖いね。 もう話は終わった。 俺たちは帰るぞ」 男たちは、真珠の指輪を持って出て行った。お母ちゃんが涙の濡れた手で「もう大丈夫よ」 と私を抱きしめた。そこに、姉と妹が抱きついてきた。 

3.生きる意欲を失ったお母ちゃん「 お父ちゃんに会いに行く」

 それから、 お母ちゃんの様子がおかしくなった。仕事にも行かず、 寝込むようになった。姉は「お母ちゃん、 風邪引いたのよ」と、私たちを心配させないように気を配った。それでも、今まで 気丈に一生懸命に働いていた母の様子が明らかにおかしかった。

 今思うと戦後の混乱の中、私たち3人姉妹をひもじい思いをさせないようにと必死になって働いてきた母の原動力が、父からの唯一のプレゼントの真珠の指輪 だったと思う。 お母さんが寝込んでから、近所のおばちゃんたちが心配して「少しだけどみんなで食べてね」 とおかずを分けてくれた。

 しかし、 お裾分けにも限界があった。 家に残ったものは、 缶に入った おせんべいだけになってしまった。 そのおせんべいが今日の夕飯となった。「 おせんべいも、お米よ~、お水と食べれば お腹いっぱい~」と私たちは ちゃぶ台の周りでおどけて、 ケラケラ と 笑い声を立てた。その笑い声で、 隣の部屋で横になっていた母が視線をむけた。

 身体を起こした母の顔はやつれていた、声も 弱々しかった。母がぽつりと 思い詰めたように言った。「 天国のお父ちゃんのところに行ってみない?」 私と姉が「え!?」と絶句した。
事情がわからない妹が無邪気に「 お父ちゃんに会いに行くの? 会いに行きたい」と言った。姉が「黙って」と妹の口を塞いだ・・・。

「 お姉ちゃん、 痛い。 口をどけてよ。 お父ちゃんに会いに行けるなら会おうよ。  私、お父ちゃんのこと知らないから、会いたい・・・・・」 とべそをかいた。母がもう一度「 お父ちゃんのところに、みんなで行こう」とポツリと言った。 ちゃぶ台を照ら電灯に、蛾がチリチリとぶつかる音だけが部屋に響いていた。

4.戦後の混乱期に「家族の命を救った1枚の手紙」

 玄関先に人影が動いた。「あ、 誰か来た! あの男だったらかくれよう」 と私が言った。 玄関の隙間からススっと静かに手紙を挟むのが見えた。

「あ、なんか 挟んで行ったよ」 姉がその手紙を取りに立ち上がった。「  取らなくていいわよ」 という母の静止を振り切って、 ドアに挟んであった1枚の手紙を取りに行った。姉は、紙切れを恐る恐る 開いた。 一瞬の間があり、 姉の嗚咽(おえつ)が聞こえてきた。 

心配になって、 私も、 妹も駆け寄って その手紙を読んだ。 私たちも、ただ抱き合って嗚咽した。その姿を心配そうに見ていた母と目線があった。私たちは、母のところに駆け寄り、 姉が涙目で「これを読んで」 と母に手紙を渡した。母が涙で濡れた手紙を広げて、震える声で 力なく 読み始めた。

「 どうか 希望を失わないでください。 あなたには、3つの太陽があるじゃありませんか。 今は雲の中に隠れていても必ず光り輝く時があるでしょう。どうかそれまで死ぬことを考えないで生きてください」 読み終えた母が、3人を思いっきり抱きしめ、「 ごめんね。ごめんね。 もうお母さん大丈夫だから」と号泣した。

戦後の混乱期に「家族の命を救った1枚の手紙」おせっかいな手紙
戦後の混乱期に「家族の命を救った1枚の手紙」

5.人生の最後に、もう一度見たい手紙「おせっかいの手紙」

 姉が言った。「 きっと、この手紙、 天国のお父ちゃんが贈ったんだよね」 「うん、 お母ちゃんを元気づけようと贈ってくれたんだ」 「この手紙、 お父ちゃんの匂いがする」と妹が言った。「え、 本当?」と手紙の匂いを嗅いでお母さんが笑顔を見せた。

「お母ちゃん、元気になった。よかった、 嬉しいな」と、手紙をかざしてスキップする妹の姿に家族の笑顔が戻った。 それから、  生活は相変わらず苦しかったけど、笑顔だけは溢れていた。お母ちゃんは前のように仕事に精出し何とか3人を育て上げた。

 「あなたは、人生の最後に、もう一度見たい 手紙がありますか?」 と尋ねられたら 私はこのように答えます。「 この近所のおばちゃんがそっと入れてくれた、 おせっかいの手紙を読みたいと思います」 

この手紙はもうどこにあるかわからないけど、私たち家族の心の支えとなっています。 たった1枚の手紙が命を救うことがあります。

たった一言の優しさが命を救うことがあります。

優しいおせっかいの手紙を書いてみてください。

相手の心も、自分の心も優しさに包み込みます。 

◆私からのおせっかいな手紙(合唱バージョン)高橋恵さんとおせっかい協会の仲間たち メインボーカル鈴木智子さん 作詞原案:内村守男
※YouTube動画
https://youtu.be/x8HYeU8qUFk

◆いのちをすくったおせっかい 朗読 利部由理子
※YouTube動画
https://youtu.be/uSYYdffQQFk

最後までお読みいただきありがとうございました。


おせっかいコンテスト2024開催【2024年9月30日まで】
https://osekkai.jp/contest

おせっかい仲間になっていただける方
※入会金、年会費無料
https://osekkai.jp/branch


一般社団法人おせっかい協会ホームページ
https://osekkai.jp/

Facebookでおせっかい協会への参加方法
https://www.facebook.com/groups/218811725816125/

高橋恵さんのメッセージおせっかい協会メルマガ登録はこちら

https://w.bme.jp/bm/p/f/tf.php?id=uhh90951&task=regist


おせっかい協会YouTube
https://www.youtube.com/@osekkaikyoukai

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です