こんにちは、一般社団法人おせっかい協会です。今回は、おせっかい協会主催のおせっかいコンテスト2024エピソード部門で協賛企業賞を受賞された作品のご紹介です。協賛企業の土屋ホームトピアの菊地英也社長に選考していただいた受賞作品は、土屋 雄二郎さんの『高橋恵さんの「幸せ、おせっかい道」』となります。
目次
1.高橋恵さんとの出会い
高橋恵さんとの邂逅(かいこう)は8年前に遡る。私の再婚した前妻が良妻でなかったから出会えたといっても過言ではない。
元妻をメラノーマ再発で喪った(うしなった)私は都内講演会で出会った女性と後日Facebookでつながり別居結婚した。その前妻は当時脚本家で「プロデューサーから書き直しを指示される度に疲弊(ひへい)する」と言ったので「だったらやらされ仕事からやりたい仕事にシフトしたら? 貴女は雄弁だから講演家、脚本家で文章の構成に長けているだろうから作家をやればいい。講演は大谷由里子さんの志縁塾(しえんじゅく)、作家は土井英司さんのエリエス・ブック・コンサルティングで鍛えてもらったら?」と助言。才能の塊で1万円の講演が20万円、本も4冊すべて商業出版が叶った。
その間、三男の大学進学を機に前妻が「千葉と東京の家と家財道具を処分してうちに来て」と言うので神奈川に転居した。ところが、当時サラリーマンだった私は前妻からの深夜に及ぶ説教が続き睡眠不足で体調を壊し、医師から「土屋さん、このままだと死にますよ。(神奈川から)会社に近いところ(東京)に越したほうがいいですよ」との助言を受け、中野の賃貸マンションに転居したのだ。
そんな時、土井さんから「中野には高橋恵さんがいらっしゃる」と聞いた前妻が恵さんとFacebookでつながったのだ。そのとき我々と当時大学生の三男の3人で高橋恵さん宅にお邪魔した。前妻が高橋恵さん宅を訪ねたのはそれ1回限りで、三男も数回。私は数知れずうかがうことになる。
2.高橋恵さんへのインタビューで距離が縮まる
最初に私は一般社団法人おせっかい協会の活動の一環である中野駅北口のゴミ拾いからスタートし、次におせっかいフォーラムで撮影などを手伝ったが、高橋恵さんとの間には依然距離があった。
それを縮めたのが、高橋恵さんを当時ペンネーム・山ノ堀正道でインタビューしたウィークリー紙『西の風』の「鄙(ひな)のまれびと」『山ノ堀正道(やまのぼりまさみち)ウェブサイトに収録』――。あらかじめ恵さんのすべての著書とネット記事を読んでインタビューに臨むと、どんどん惹き込まれていった。
特に私と大きく違うのは、恵さんは里子に出された先で凄惨(せいさん)ないじめを受けながら「自分がされて嫌だったことはしない」と心に誓うだけでなく、高校・短大時代にBBS(Big Brothers and Sisters Movement)運動に取り組み主に韓国籍の少年の更生に力を注いだことだ。このことは、おせっかい活動の原点とも言えよう。
3.高橋恵さんのおかげで著書が山積みに…
次に私は東京都立大学プレミアム・カレッジのゼミの研究成果として日中関係の本を出したいと思ったが、自分のにわか勉強だと知見が浅いので8人の識者との対談本を思いついた。その対談相手の1人として高橋恵さんに依頼すると「私でよければ協力するわよ」と快諾を得た。以前のインタビューに合わせて、高橋恵さんが株式会社サニーサイドアップ創業の頃や香港・上海時代の話を聴くなどして『もう中国とは「共助」でないといけない』が出版となった。
高橋恵さんにブックファースト中野店の店長に掛け合っていただいたおかげで高橋恵コーナーの隣に山積みしてもらえることになった。さらにセールスプロモーションの一環で「今日うちに10人来るから名刺とチラシを持ってきなさい」「クラブハウスのおせっかいコーナーで時間をあげるから本の紹介をするといいわよ」など連日のように声をかけてくださった。恵さんから受けたありがたいおせっかいの数々である。
4.服装・身だしなみも注意される
前後するが、昨年2月前妻との離婚届に高橋恵さんから著名をもらい私は晴れて独身に。その2カ月後の4月にマッチング・アプリに加入すると、高橋恵さんから「本のセールスプロモーションにも言えることだけど、その髭(ひげ)を剃りなさい。茶系の服装は気持ちが沈むのでもっと明るい色にしなさい」と親身な助言を受けた。
マッチング・アプリは本年3月まで1年間登録し、300人とマッチング、60人の女性と延べ80回会食して、そのうちの何人かと交際することができたのも恵さんの助言が大きい。(このネタは今後出版の予定)ただし、再々婚には至らなくて、恵さんが「私がアプリよりも素敵な女性を紹介してあげるから」と言ってくださっている。
5.新たな地で、誕生日に「ハッピーバースデー」
本年4月、私は神経腫(しんけいしゅ)の手術で東京医科大病院に入院した。手術の数日後病室に突然、恵さんが「映画を見に行く途中なの」と言って坂口暁子さん(株式会社ワオナス代表取締役)を伴い見舞いに来てくださった。
この6月私が静岡県沼津市に転居する日の朝挨拶に行くと、なんと逆引っ越し蕎麦を振る舞い「元気でね」と声をかけてくださった。
7月2日の私の誕生日には女学校時代の同級生を見舞いがてら沼津に山口節子さん(高橋恵さんと竹馬の友)、于前(ウー)さん夫妻(共にジャーナリスト)と一緒に車で来訪された。沼津港で海鮮丼を馳走いただき、カフェでパフェを前に「ハッピーバースデー」を歌ってくださった。66歳で初めての地に移り住み多少心細かった気持ちが、一気に吹き飛んだ。
6.高橋恵さんから「大輪の花が咲く」とのコメント
高橋恵さんから土屋グループ銀座ショールームを紹介いただいたおかげで過去3回講演することができた。さらに株式会社土屋ホームトピアの織江強志氏が札幌に転勤され、札幌厚別と札幌大通の倫理法人会、土屋グループ札幌ショールームの3箇所から講師のオファーがあった。(土屋公三会長の墓前でお礼を伝える)
実際、札幌ではかなり手応えが…。Facebookに報告記事を書くと恵さんから「いつもの土屋さんの情熱が伝わってきました。きっと感動なさった方が多いことでしょう。リアルな体験話はじわじわ沁みてきます。素晴らしい方々の環境にいる土屋さん、またまた大きくなって心棒(しんぼう)の先に大輪の花が咲く姿がはっきり見えます。数年後土屋さんはすごい人となるでしょう。人生はここからスタートです。いつかコラボしましょう」とのコメントをいただいた。
7.「幸せ、おせっかい道」を実践していきたい
私は4人の子どもがいることもあり、サラリーマン時代は人を押しのけて自らの出世栄達(しゅっせえいたつ)しか興味がなかったように思う。元妻がメラノーマで入退院を繰り返し(やがて逝去(せいきょ))、次男もやんちゃで問題を起こして学校から呼び出しがあった際、次長職の部下から「もっと仕事をしてください」と言われた。
私は数カ月の仕事量・質(評価や難易度)を数値化してエクセルに表し部下に見せて納得させた。それでも「これは天の声」と思い、専務に「部署と部下を手放し自ら部長から次長に降格して1人部署を立ち上げます」と伝え、次長の部下を部門長に推挙(すいきょ)した。
あのとき自分がもし「利他」の心で仕事をしていたら部下から「もっと仕事をしてください」といった発言はなかっただろう。逆に私を盛り立ててくれたかもしれない。
いま私は高橋恵さんを師と仰ぐことで、できるだけ高橋恵さん的な生き方をしたり、高橋恵さんならどうするだろうと考えて行動するようになった。その「利他」や「おせっかい」のおかげで人と衝突することはいまはない。
私は高橋恵さんとのコラボ講演が楽しみで仕方ない。これからも恵さんを見習い「幸せ、おせっかい道」を実践していきたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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